取引先の不正事件で、経営に大打撃が

戸塚金属工業株式会社
取引先の不正事件で、経営に大打撃が

協栄信用組合が基盤を置いている新潟県燕市は、洋食器をはじめとした中小規模の町工場がたくさんあるところです。戸塚金属工業株式会社もそんなひとつ。もともとは横浜市戸塚区で自動車の金属製バンパーの研磨を主としていましたが、昭和63年に燕市の誘致を受け入れ、現在の小関第二工業団地に移転しました。協栄信用組合との取り引きは、その時からスタートします。

「取り引きを始めたきっかけ? それは天国のオヤジに電話しないとわからないな」。


そう語るのは、社長の追立俊朗さん。平成13年に前社長の後を継ぎ、航空機用座席部品やOA機器筐体の生産、精密板金、プレス加工、溶接、塗装組立など幅広いジャンルに挑戦。業績を上げてきました。

「ずっとイケイケどんどんでした。けれど08年のリーマン・ショックは痛かった。そしてもっと痛かったのが、当時取引先が起こした不正事件。その影響で、航空機の座席が作れなくなってしまった。その1社だけで売り上げの8割近くあったものだから、一気に苦しくなりました。それまでは15期連続で黒字だったんですけどね」(追立社長)。

半年後にはパートさんに全員辞めてもらわざるを得なくなりました。先行きを危惧したのか、正規従業員も一人ふたりと抜けていきます。最終的には20人が戸塚金属工業をあとにしました。

「協栄さんとは毎月のように打ち合わせをしました。毎月の売り上げ予測や賃金の見直しなど、とことん話し合いました。正直、無理だ、と思う内容もありましたよ。でもね、それは表裏一体。お互いに何とかこの会社を立て直そうと必死だったんです」。

結果的に、追立社長は一度の「ジャンプ」(返済の先延ばし)もすることなく、仕事も徐々にではありますが、新規に継続的なものが入るようになります。


協栄信用組合本店営業部営業課課長代理・稲田政裕が戸塚金属工業の担当を引き継いだ15年夏に、同社は運転資金も設備資金も完済しました。

二人三脚でピンチを乗り越えて

「追立社長は裏表がなくて、全部本音でお話しして下さいます。危機を乗り越えたのも、社長の手腕があったからこそです。戸塚金属工業さんには知的財産的なノウハウが多く、周りの企業さんからも非常に頼りにされています。業績が厳しいなかでも自社製品の開発を行って、それがいま形になりつつありますが、普通、悪い時には目の前のことしか考えられなくなるものです。それができるのが追立社長の凄さですね」。

担当の稲田課長代理が言う「自社製品」とは、経済産業大臣賞受賞の「ドコデモ☆クック」のこと。

「燕の洋食器や包丁を世界でデモンストレーションするためのキッチン」をコンセプトに、アルミ製の専用ケースに調理道具や食材を収納。屋外やイベントスペースで、プロ仕様の調理スペースが展開できる組立式キッチンです。燕市の助成金を受け、2年前にプロトタイプが完成した商品です。

「でも、なかなか売れない(笑)。いいんですよ。あれで戸塚金属工業の名前を知ってもらえれば。営業にしても人材の確保にしても、名前を知ってもらうことはとても大切」(追立社長)。

「どんなときでも足を運んでくれる信頼感」

最後に、追立さんから協栄信用組合について忌憚のない意見をお聞きしました。

「協栄さんは、うちが良いときも悪いときも来てくれる。いつでもお茶を飲んで話にのってくれる。なにか動きがあれば、理事長まですぐに話を通してくれる。現担当の稲田くんにしてもそう。彼は特に笑顔がいいよね。僕が見てきた限りでは、金融の仕事をしていて笑顔が素敵な人はなかなかいない。協栄さんにあえて注文を付けるとすれば、担当の期間をもう少し長くしてほしい事と、担当者の『逆指名制度』を導入してほしい。人気者はひっぱりだこになるという(笑)。どんな商売も基本は人と人との関係じゃないですか。最後の最後のところでは、やはり人間性がものをいいます。ぜひ、理事長にご検討いただきたい(笑)」。

 戸塚金属工業株式会社ウェブサイト

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